「第三回新潟り」を終えて 小池
こんにちは、小池です!
更新が遅くなってしまい、大変申し訳ありません!
今週は第三回新潟りの反省週間ということで、イベントから少し時間が経ってしまいましたが、小池の反省を述べさせていただきたいと思います。お付き合いください。
今回の「震災と新潟とわたし」というテーマだったので、中越地震・中越沖地震・水害あたりの話題が中心になるのだろうと予想していたのですが、私が参加したグループでは各参加者の経験談はもちろん、震災後の復興活動や街づくりの話が中心になりました。
ちょうどこのイベントの前日にNHKで山古志村の特集が組まれていたので、個人的にも非常にタイムリーな語りになりました。
東日本大震災の際、大きな漁船が陸に打ち揚げられる様子を映像や画像で見た人も多いと思いますが、震災後の復興を考える時に、その打ち上げられた漁船を、災害の恐怖を後世に伝えるための災害遺産として残しておくべきかという議論がありました。
中越地震によって大きな被害を受けた山古志村でも、同じような議論があったと聞いています。
地震が起きた当時、河川が土砂によってせき止められ、写真のように住宅が浸水してしまうという事態が起きました。
この家々を災害遺産として、残しておくべきなのかどうか。
代表的な災害遺産として、広島の原爆ドームが挙げられると思いますが、その原爆ドームも保存のための経済的負担や一部の市民からの「見るたびにあの災禍を思い出してしまう」という意見を受けて、取り壊される計画が立てられていました。
しかし、被ばくによる放射性障害が原因と見られる急性白血病によって亡くなったある女子高校生の日記に「あの痛々しい産業奨励館(原爆ドーム)だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」と書いてあったことをきっかけに保存の方向で活動が進められることとなりました。
詳しくは以下のサイトをご覧ください。
災害遺産の議論については、あらゆる立場からの意見を聞きながら、慎重に判断していかなければなりません。難しい問題ですが、災害の際にはこういう問題も起こり得るのだということをみなさんに知っていただきたいと思います。
それでは、また!