新潟り~ニイガタリ~

新潟りを通した新潟に関する様々な情報を発信します!

「第三回新潟り」を終えて 山野

こんにちは、新潟りの山野です。

皆さん、2014年も残すところ2日ですがいかがお過ごしでしょうか。今回は先日行われた「新潟り 震災と新潟とわたし」について書かせて頂きたいと思います。

僕は先日の新潟りで凄く印象に残った言葉があります。
それは「雪との付き合い『守』から『攻』へ」という言葉です。
「震災」というテーマで行われた新潟りで、なぜこのような言葉が出てきたのでしょうか。

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長岡市長生橋の雪景色:長岡市デジタル写真館-風景・自然


今回の新潟りでは、新潟県中越地震や7.13水害などの話題から語り合いが始まりました。一人ひとりの当時の体験談や復興への考えを語り合っていきました。その中で、新潟にはずっと昔から対峙し続けている「災害」=「雪害」があるという話題に話が展開していきました。ここで「雪との付き合い『守』から『攻』へ」という言葉が飛び出すのです。

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雁木づくりの模型:新潟県立歴史博物館公式サイト | Niigata Prefectural Museum of History



遠い遠い昔から、長い長い歴史の中で、新潟の人たちは毎年のように「雪」と戦ってきました。今年も大雪の影響が各地でみられるなど、その戦いは続いています。
新潟の人々は、様々な方法で雪への対策を講じてきました。以前紹介した「消雪パイプ」や「雁木通り」「除雪車」などはその一例です。しかし、これまで新潟の雪に対する行動は、あくまでも「守り」でした。
新潟はそろっと「攻め」への策が必要なのではないでしょうか。先人たちもこの「攻め」への策を考えてきたでしょう。ですが、効果的なものはなかなか生まれず「そんなものは無理だ」という空気が生まれています。そんな今こそが雪を効果的に活用していくような「攻」への策を生み出すチャンスなのではないでしょうか。例えば、新潟は雪への対策においては先進的な県となっています。これは雪対策の輸出という新しい「攻」の形を予感させます。この他にも、様々な「利雪」も考えていけるでしょう。まさに今こそ「雪との付き合い『守』から『攻』へ」なのです。


今回は年内最後の新潟りでした!半年間ですが、たくさんの方に新潟りに参加して頂き、いつも「新潟にいるみたい」な気分を味合わせてもらうことができました!本当にありがとうございました!

来年も一層楽しく、生き生きとした語り合いの場を作れるように努力して参りますので、これからも新潟りをよろしくお願いします!