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市原隼人主演「最後のサムライ」河井継之助 感想

「かわいかわい(河井)と今朝まで思い 今は愛想もつきのすけ(継之助)」

 

この一節の詩が頭の中に今も響いてきます。

 

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市原隼人さんが越後長岡藩に生きた武士河井継之助を演じる舞台「最後のサムライ」を天王洲銀河劇場で観てきました。冒頭の詩は劇中に何度か歌われる詩です。初めて人の声となって聴くことができたのが何故か嬉しかったです。

 

「最後のサムライ」は長岡出身の僕としてはぜひ観たい作品でした。簡単に言いますと、泣きました。ラストに近ずくにつれて市原隼人さん演じる継之助に感情移入して泣いてしまいました。ストーリーは司馬遼太郎さんの歴史小説「峠」や様々な書籍に描かれている物語に舞台演出上、多少オリジナルのストーリーや演出を加えたものとなっていました。主演の市原隼人さんを始め、キャストの皆さん、脚本家さんや監督さんが長岡や河井継之助という人間についてしっかりと勉強されたことが伝わってきました。司馬遼太郎さんも「峠」のあとがきの中で、従僕松蔵が継之助の骨を灰の中から注意深く拾い上げたことになぞらえて「筆者もまた松蔵の怖れを自分の怖れとして多少感じている。いくらかの骨を灰のなかに忘れてきてしまっているかもしれないのである。」と述べているように、制作にあたっては細心の注意が払われ、丁寧な作業が必要だったことが伺えます。

 

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さて、僕が感じた舞台のテーマは、「類稀な先見性をもった河井継之助が越後長岡藩という小藩の武士としてどのように波乱の時代を生きたか」でした。あくまでも河井継之助は長岡藩のいち藩士なのです。そしていちサムライとして生きようとするのです。幕末の動乱期における武士としてのその美しい生き方に後世の私たちは「最後のサムライ」の姿を見るのだと思います。ただ河井継之助にとって長岡という藩は小さすぎたのかもしれません。司馬遼太郎さんも短編小説「英雄児」の最後に「英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい。」と物語を締めくくっています。(武器商人スネルと陸軍大臣山県有朋の2人がすでに河井継之助のいない明治の時代で語り合うシーンでは、脚本家さんが込めたこの舞台におけるもうひとつにテーマがあるのかなと感じました。)

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長岡に生まれた若者として思うこと。

現在大河ドラマなどでは吉田松陰さんが取り上げられるなど、幕末の動乱の中で明治という新しい時代をつくった偉大な人々が持て囃されています。しかし、世間的には有名ではないかもしれないが、長岡には確かに偉大に生きたサムライがいたのです。そのサムライが長岡という地に生まれ、どう生きたか。私たちは長岡の将来や日本の将来を考えていくうえで、この歴史を改めて学ぶ必要があると感じます。河井継之助という男が長岡でどのような政治を行ったか、どのように戦ったかという事実を学ぶことももちろん重要です。しかし、それよりも河井さん、河井継之助という人がどんな景色を見ていたか、そして何を感じたか、何を信じ、どう生きたか。私たちは長岡に生を受けたものとしてその“姿”をもう一度見つめ直す必要があるのではないでしょうか。

 

最後に、何よりも自分の故郷である長岡や河井継之助さんをこのように舞台として取り上げて頂いたことが一人の長岡人としてとても嬉しかったです。

 

おわり。

 

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