新潟り~ニイガタリ~

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歴史に学ぶ。『ランプ会』長岡の復興を支えた灯。

こんにちは、新潟りの山野です。

今回は「歴史に学ぶ。」ということで、新潟県長岡市において、戊辰戦争からの復興と、その後の経済の成長を支えた「ランプ会」について書いていこうと思います。
 
 

【ランプ会とは?】

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岸宇吉 (長岡市郷土資料館史料:筆者撮影)

新潟県長岡市、当時の越後長岡藩は北越戊辰戦争の戦火の中で焼野原となりました。(小泉純一郎元総理の所信表明演説でも有名な故事「米百表」もこの頃の長岡が舞台となっていますが、それはまた別の機会にしましょう。)戊辰戦争の後、焼野原となった長岡が復興を成し遂げていく過程において極めて重要な役割を果たした“ある会”が開かれていたと言います。それが「ランプ会」でした。商家の岸宇吉宅に長岡「維新の三傑」の一人として知られる三島億二郎を始め、身分に関係なく多くの人々が集まっては、当時はめずらしかった舶来のランプを囲んで、北越戊辰戦争後の長岡の復興や商業のあり方について話し合ったそうです。噂を聞きつけ、たくさんの人がランプ会に集まっては様々な話に花を咲かせていたといいます。
 
 

【歴史の小路に道草して。】
新潟や故郷について語り合って情報発信をしようと考えていたとき、ランプ会の存在を知りました。友人と2人、ぼーっと長岡市の郷土資料館を訪れたときのことでした。資料を眺めながら歩いていると、ランプ会という言葉がパッと目にとまりました。そこでランプ会について書かれた資料に詳しく目を通してみると、なんとなくですが、頭の中で何かがつながったような、そんな感じがしました。「先人たちが語り合いの中で現在の長岡や新潟を形作ってきた」という事実が僕に大きな勇気をくれたような気がします。

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長岡市郷土資料館。戦火に燃えた長岡城を彷彿とさせる。(筆者撮影)


歴史は僕たちにいつもヒントをくれるような気がします。悩んだ時や、行き詰まった時に、ちょっと歴史の小路に道草してみてはどうでしょうか。先人たちの背中は大きく、逞しく、それでいて優しく、私たちに語りかけてくる、そんな気がするのです。特に見落としがちになってしまうような自分の身の回りの歴史にもう一度目を向けてみるというのもいいのではないでしょうか。
 
 

【いつか、ランプ会のように。】
時は平成26年。ランプ会が行われていた時代から140年以上が過ぎました。ランプ会から生まれた様々なものが今も長岡には脈々と生き続けています。ランプ会と新潟り、全く別のものではあります。ですが、「新潟を想い、語り合う」という点で現在の新潟りへと繋がるものがあるような、そんな気がするのです。いつか、この語り合いの場が、新潟の今を形作ったと言われるようになったら、それほどに嬉しいことはありません。
 

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 現在の長岡市の様子。広い空と広い大地がいきいきと育まれている。(長岡郷土資料館展望室より:筆者撮影)
 
 
 
ということで長くなってしまいましたが、今回は「ランプ会」について書かせて頂きました。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは、また次回!